セブに語学留学をする日本人が増えてきたのは、今から12、3年前くらいからだったと思われます。フィリピンは、英語が通じる日本から一番近い国とされています。日本国内でも英会話を学ぼうとする若者たちが増えたのか、欧米に留学するよりも費用が安く、日本からも近いということで、セブが非常に注目されました。

今回は、セブ留学の歴史を振り返ってみようと思います。

フィリピン、セブのイメージ写真

セブ留学の始まり

最初にセブで英会話学校を開設したのは韓国人でした。彼らは2001年にCPILS(シピルス)という語学学校を開校しました。このCPILSはホテルだった建物を改築し、語学学校にしたものです。

多くの留学生がこのCPILSで英語を学ぼうとやってきました。その留学生の国籍は、韓国、日本、ベトナム、中国、台湾、ロシアなど多国籍で、授業はマンツーマン、グループレッスンとなっており、英会話を学ぶには非常に良いシステムでした。

韓国人の若者が、多くセブに入ってくるきっかけになったのが、このセブへの留学でした。セブは、フィリピン国内でも治安が良いとされており、また、ビーチリゾートも建ち並んでいることからマニラと比べて非常にイメージも良いです。そして、日本でも語学留学先として紹介されるようになっていきました。

多くの韓国人たちが、セブへ語学留学をし、多くの韓国系語学学校も設立されました。韓国人に比べると数は多くなかったものの、日本人留学生もいました。当時留学していた日本人に、語学学校に関して聞いてみると、食事が合わなかったという人が多くいました。やはり、韓国人の留学生が多いということで、韓国人向けの食事となっていたようです。また、システムなどもしっかりしていないところもあったようです。

セブの語学留学イメージ写真

日系語学学校の登場

日本人留学生からの、色々な声があったのが影響したのかは定かではありませんが、日系の語学学校が設立され始めました。その日系の語学学校を設立した日本人は、セブ留学を経験した人によるものがほとんどでした。

日系の語学学校がセブにできたということで、日本人の留学希望者が一気に増加します。そして、日系語学学校の数も増えていき、セブだけで50以上の日系語学学校が設立されました。2010年から2020年は、まさにセブ留学の黄金期といえるでしょう。高校生の留学先としても注目され、夏休みを利用し、学校側が企画をしたセブへの留学を行う高校も増えました。

パンデミックの到来

セブ留学に危機が訪れます。それが、突如として現れた新型コロナウイルスの存在です。
2020年の2月には、マニラでの感染者が3名ほどと発表されていました。この頃はまさかフィリピンがロックダウンされるような事態になるとは誰も想像していなかったでしょう。

3月中旬にフィリピンのドゥテルテ大統領が、マニラのあるルソン島をロックダウンすると発表しました。これは、ジワリジワリと広まり始めていた、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための措置でした。マニラからの国内線フライトはすべて欠航となり、国際線も一部のみの運航となりました。マニラからのフェリーの移動も不可となり、ほぼすべての交通機関は欠航となりました。そして、ついにセブも2020年3月下旬にロックダウンの措置を取り、セブからの国内線飛行機は欠航、国際線はごく一部のみの運航となったのです。

セブの語学学校側も、セブに滞在していた留学生の帰国対応に追われ、英会話の授業どころではなくなりました。フィリピン航空が臨時で、セブ⇔成田の直行便を飛ばしたりして、多くの日本人留学生が帰国をしていきました。

このパンデミックの影響で、多くの語学学校が閉鎖になり、消えていくことになったのです。

オンラインでの英会話授業

生き残りをかけた語学学校は、オンラインでの英会話授業に切り替えました。留学が解禁されるまでの間は、このオンライン英会話で乗り切るつもりなのです。オンライン英会話の講義を行う場所は、ビルの一室などで、そこに多くのフィリピン人講師が詰めることになります。もしこの中で新型コロナウイルスの感染者が出れば、2週間ほど閉鎖しなくてはならなくなるので、学校側もフィリピン人の健康管理が大変です。

そして、現在。

現在もフィリピンはパンデミックのさなかです。イギリスなどでコロナの変異種などが登場し、その変異種がフィリピンにも入ってきました。マニラ方面は再び厳格なロックダウンを行うようです。
セブ留学は、ロックダウンが解け、通常の生活に戻るまでは復活できないかもしれません。

(Endo)